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仏像の写真

興福寺の国宝館がお気に入りで、いままでに何度も足を運んでいます。阿修羅像はインド地場の戦闘神が仏教に帰依したもので、その少年風の顔からは、今までの所業への後悔と先行きへの不安感が伝わってきます。無著、世親の菩薩立像は鎌倉時代の木彫仏ですが、深い目尻のシワと細く鋭い眼は、真実を射すくめるように写実的です。 東大寺の金剛力士立像は、高さ8mを超す運慶・快慶による鎌倉時代の木像ですが、上半身が下半身よりかなり大きく作られていて、下から見上げて初めて調和が取れるようデザインされています。見る者の視点を意識する遠近技法は、西洋では、16世紀にミケランジェロにより描かれたシスティーナ礼拝堂のフレスコ画「最後の審判」が有名です。 ルネサンスより前の時代に、それに匹敵する表現技法を会得していた日本の工芸技術は、間違いなく当時世界一だったと思います。 しかし、その後に彫られた仏像も、写実性とはほど遠く、相変わらず扁平で無機質に感じられます。 戦後の写真家・入江泰吉は、数多くの秘仏をカメラに収めました。仏顔を仰ぎ見る角度や光の当たり具合などにより、仏の表情の変わることが、彼の写真からは伝わって来ます。 彼は、仏像を取り続けるなかで、意図せず祈りを捧げている自分に気づいたそうです。そして、灯明や蝋燭の光のかすかな揺らぎにより、仏像の表情が優しく微笑んだり、悲しみに沈んだりすることにも気づいたようです。 仏に帰依する心を持つ人には、そこに仏像本来の慈悲の姿が見えたのかも知れません。一見、扁平で無表情に見える仏顔も、見る者の心の持ち様次第で、どのようにでも見えたようです。 それにしても、秘仏を撮影できただなんて、なんちゃって仏像マニアの私にとって、とても羨ましい限りです。

神仏習合

江戸末期まで、日本各地にあった神社と寺は一体でした。人々は、鳥居をくぐってかしわ手を打ち、南無阿弥陀仏と唱えることに、何の違和感も持たなかったようです。これが、いわゆる神仏習合です。 明治政府の神仏分離政策により、千年以上にわたって一体だった神社と寺が分離されました。いまの私達は、お寺に鳥居があることに違和感を感じますが、それは神仏習合の名残りなのです。 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などは唯一絶対神を崇める宗教で、世界中に信仰を広める過程で、その地にあったはずの地場神を根絶やしにしてきました。なんとも無慈悲な宗教です。 しかし仏教は、多神教で融和性の高い宗教のため、地場神を取り入れて東アジア一帯に広まりました。四天王と呼ばれる神々も、阿修羅など八部衆と呼ばれる神々も、みなインドの地場神が仏教に帰依した姿とされています。 なかでも、アジア辺境の日本神道との相性は抜群に良かったようです。仲睦まじい夫婦のように、お互いを補完し合って共存してきました。これが日本における神仏習合です。 神道は仏教以上に多神教でした。元来は自然神への信仰なので、その場所毎に神が宿り、その神を祀るのが神社だったので、神社の数だけ神がいるといっても過言ではありません。有名な神社であっても、参詣者が祀られている神々を知らないのは当然なのです。 ただし、その後、大和朝廷が全国を席巻したために、彼らの祖先である天照系の神々が、どの神社の祭神にも名を連ねるようになってはいますが。 神道には、偶像や道徳律、教義や学問がありません。祭祀を司る神職はいますが、神の教えを説く司祭など指導者や学者はいません。万物自然を神とするため、神殿すらいらないのが本来の姿だと思います。 医学・薬学・文学・論理学などの技術を伴って伝来した仏教は、文明的にも学術的にも高度に洗練された宗教であり、日本に伝来して以降、日本神道の弱点を補ってきたようです。 例えば、祝い事は神事ですが、穢れを忌み嫌う神道の扱わない分野、例えば葬式などを担ってきたのは仏教でした。仏教は、霊魂を概念化して来世を予見し、悲しむ遺族の心を安らかに導いたのです。 また、伊勢神宮などの式年遷宮する神社を除き、日本に数多ある神社の本殿も拝殿も、ほぼ全ての建物は仏教建築そのものです。 御朱印が流行っています。神社や寺に参拝した証として押印されるもので、本来は純粋な宗

人はどこまでも未完成

人はどこまでも未完成。 この気持ちを大切にしたい。周りから学ぶ事を忘れずにいたい。そう思えるようになりました。 業務でトラブルを起こした部下に事情を聞きました。彼は、反省の弁を口にしながらも、そうするしかなかった、と吐き出すように言った本音の言葉に、やっと気がつきました。知らない間に彼を追い詰めていた。そうだったのか、俺も気づかなくて悪かった。そう思いながらも、素直に言えませんでした。 最近、営業課長に抜擢された若い敏腕営業マンとの話。 彼は優秀だけど、部下にキツく当たる。本人もそれに気づいているが、どうしたら良いのか分からないそう。彼に問われた。部長はいつも冷静ですが、そのコツを教えてください。離見の見、を意識している、と答えました。能楽大成者の世阿弥の言葉で、後ろで自分を冷静に見つめるもう一人の自分を意識しろ、という意味です。 どこぞのビジネス本に書いてある、ありきたりの言葉に感じ入った彼に、本くらい読めよ!と心で毒づきながらも、なるほど、とメモを取っていた彼が微笑ましく思いました。学ぼうとする姿勢に感じ入りました。 若い頃は上司がとても賢く見えました。畏怖の念すら感じていました。いま、自分がその年になっても。あの時の上司には、いまだ届かない自分がいます。 でも、あの時の上司も、同じ思いだったのかも知れないな、と感じています。自信なんてない、部下を育てるなんておこがましい、でも、なんとかしないといけない。そう思って頑張っていたのではないかと。 人はどこまでも未完成。 自らの伸びしろを信じ、成長したいと念じ、学びたいと思う。その姿に周りの人は惹かれるのだと。そんな人になりたいと思います。まだ、決して遅くはないはず。

かしわ手の先に

年始、近くの神社に初詣に行きました。 鳥居をくぐり、お賽銭を入れ、鈴を鳴らして、かしわ手を打ち、一年の無病息災や心願成就を祈願する、日本人の年始恒例行事です。 しかし、よく考えると、我々は何に対して拝んでいるのか、かしわ手の先には何があるのか、誰も知らないのではないでしょうか。 寺では仏像、教会ではキリスト像、と分かりやすく目に見える形で拝む対象がありますが、神社ではそれが見えない、そして、それを誰も気にしていないようです。 また、そこに祀られている神様も知らないのだと思います。関西の初詣といえば、大阪では住吉大社、京都では伏見稲荷、神戸では生田神社が有名ですが、参詣者で祀られている神様を知っている人は皆無だと思います。 明治初期に来日した欧米の知識人は、ユーラシア大陸の東端に発達した文明に大変興味をそそられたようです。その一人、英国外交官で日本研究者として知られるW・G・アストンは自らの著作にこう書いているそうです。 神道と総称される日本古来からの神様崇拝は、世界の大宗教に比べて決定的に未発達である。 多神論であり最高神がないこと、偶像や道徳律がないこと、霊の概念を人格化しないこと、それを把握するのを躊躇していること、来世の状態を認識していないこと、深く熱烈な信仰がないこと、等々から、宗教としてはとても未発達なのだと。 しかしながら、この未発達な宗教が、文字による記録をもち、醸造・製陶・架橋・採鉱などの技術に秀でた民族と安定した政府の下で、高度に組織化された聖職と精巧な祭儀を有していることに驚いているとも。 明治政府による神道国教化の路線を目撃してきたアストンは、著作の結論で、今の神道の本流は江戸時代の国学者・本居宣長と平田篤胤による「純粋神道」であるとしながら、それはもはや一般民衆に対して活力を有していないとしています。 明治政府の神仏分離令により衰弱状態にあった仏教がその活動を回復しつつあり、さらにより手強いキリスト教の前進を前提として、「国家宗教としての神道はほとんど絶えてしまった。しかしそれは、民間伝承や慣習の中で長い間生き続けるだろうし、日本人の特徴であるより単純でより物質的な神の側面への生き生きとした感受性の中に生き続けるだろう」と結論づけています。 八百万の神とは、森羅万象に神を感じる日本古来の考え方から発した言葉です。そして今では、海の神、山の神の

美しい日本

昨年の秋、紅葉狩りに各地の名所を訪ね歩きました。 コロナ禍により外国人の消えた観光地は、かつての静けさを取り戻しましていましたが、心のなかでは、この国の最も美しい季節だよ〜、早く戻っておいで〜、なんて呼び掛けている自分もいました。 美しい日本、この言葉が好きです。これは、外国人へのPRコピーではなく、日本人に向けられた言葉だと思います。私たちの国は美しい、皆それに気づこうよ、と。 美しい四季があり、それに応じた文化があり、それを尊ぶに相応しい所作が、この国の人には備わっている。それらを総称して、美しい、と。 海外への旅先、飲食店やホテルでの接客態度の横柄さに戸惑ったことがあります。彼らの考えはおそらく、サービスを提供する側と受ける側とは対等。でも日本人の意識は違います。そのギャップに戸惑ったのではないかと思います。 東京五輪招致活動での滝川クリステルさんの有名なプレゼンテーション。 お・も・て・な・し 当時、彼女の素敵な仕草だけが印象に残った私には、いまひとつピンときていませんでした。日本人が生まれながらに備えている人をもてなす意識が、欧米人を惹きつける、美しい日本の一つなのだと。日仏混血の彼女だからこそ言えたのかも知れません。 明治の開国以来、美しい日本、を発見した西洋人がたくさんいました。 英国人アーネスト・フェノロサはその代表です。明治前期に政府から招聘された文化人ですが、岡倉天心とともに、法隆寺夢殿の秘仏観音像を開扉したエピソードは有名です。廃仏毀釈をへて西洋崇拝の嵐が吹き荒れるなか、見捨てられていく日本文化を拾い集めて再評価しました。日本美術界の恩人とも言えます。 明治初期に来日した西洋の文化人には、一般庶民の住む住宅を見て、木と紙でできた家屋に美的センスを感じた人がいたそうです。 明るく清潔感があり、障子を通して届く柔らかな光や自然素材を組み合わせた家屋が、美しいと映ったのです。それは、森林資源に恵まれ湿気の多い気候風土にしなやかに対応しているだけでなく、高い道徳心と社会秩序により治安が維持されていることが根底にあると感心しています。 美しい日本、を守り育てて次世代に引き継ぐことも、私たちの大切な仕事のひとつだと思います。

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日々の暮らしで感じた些細なこと、旅先での記憶に残った風景、心の琴線に触れた言葉、好奇心を刺激された物事。 そんなことを、勝手気ままに落書きしたいと思います。