神仏習合

江戸末期まで、日本各地にあった神社と寺は一体でした。人々は、鳥居をくぐってかしわ手を打ち、南無阿弥陀仏と唱えることに、何の違和感も持たなかったようです。これが、いわゆる神仏習合です。

明治政府の神仏分離政策により、千年以上にわたって一体だった神社と寺が分離されました。いまの私達は、お寺に鳥居があることに違和感を感じますが、それは神仏習合の名残りなのです。


キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などは唯一絶対神を崇める宗教で、世界中に信仰を広める過程で、その地にあったはずの地場神を根絶やしにしてきました。なんとも無慈悲な宗教です。

しかし仏教は、多神教で融和性の高い宗教のため、地場神を取り入れて東アジア一帯に広まりました。四天王と呼ばれる神々も、阿修羅など八部衆と呼ばれる神々も、みなインドの地場神が仏教に帰依した姿とされています。

なかでも、アジア辺境の日本神道との相性は抜群に良かったようです。仲睦まじい夫婦のように、お互いを補完し合って共存してきました。これが日本における神仏習合です。


神道は仏教以上に多神教でした。元来は自然神への信仰なので、その場所毎に神が宿り、その神を祀るのが神社だったので、神社の数だけ神がいるといっても過言ではありません。有名な神社であっても、参詣者が祀られている神々を知らないのは当然なのです。

ただし、その後、大和朝廷が全国を席巻したために、彼らの祖先である天照系の神々が、どの神社の祭神にも名を連ねるようになってはいますが。


神道には、偶像や道徳律、教義や学問がありません。祭祀を司る神職はいますが、神の教えを説く司祭など指導者や学者はいません。万物自然を神とするため、神殿すらいらないのが本来の姿だと思います。

医学・薬学・文学・論理学などの技術を伴って伝来した仏教は、文明的にも学術的にも高度に洗練された宗教であり、日本に伝来して以降、日本神道の弱点を補ってきたようです。

例えば、祝い事は神事ですが、穢れを忌み嫌う神道の扱わない分野、例えば葬式などを担ってきたのは仏教でした。仏教は、霊魂を概念化して来世を予見し、悲しむ遺族の心を安らかに導いたのです。

また、伊勢神宮などの式年遷宮する神社を除き、日本に数多ある神社の本殿も拝殿も、ほぼ全ての建物は仏教建築そのものです。


御朱印が流行っています。神社や寺に参拝した証として押印されるもので、本来は純粋な宗教行為だったはずですが、いまでは観光目的の記念スタンプの色彩が強くなっています。

神社参詣では皆「二礼・二拍手・一礼」をしますが、私の子供の頃は、そんな作法を親から教わったことはありませんでした。これは、そもそも神職の執り行う玉串奉奠に伴う作法であって、単独で行うものではないようにも思えます。


なんて、お堅いことは抜きにして。。。それらが、かしわ手を打つ動機付けになるのなら、それも良いのかな、とも思います。

この行為それこそが、受け継いでいきたい、美しい日本の伝統だと思うからです。

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