カッパのお伽話 遠野物語

田舎育ちの父は8人兄弟の下から3番目で、すぐ下の弟は幼少期に溜池で溺れて亡くなったそうです。戦前の農村では、決して珍しくない水難事故だったようです。


遠野物語の時代、「カッパ」のような生き物は、全国各地の農村山村にいたのかも知れません。村の子供たちは、いつまでも水辺で遊んでいると、カッパに足を掴まれて池の底に引き込まれるぞ、と親たちから脅されたようです。

河童の存在を、水難事故防止の教育譚と断じるのは、あまりに身も蓋もない言い方かも知れません。


明治時代の民俗学者・柳田國男が、遠野地方出身の作家志望の学生・佐々木喜善が記憶している故郷の民話を聞き取りまとめたものが「遠野物語」です。

家族間の口伝で語り継がれた昔話、民間伝承、説話、怪奇譚などを、起承転結に囚われず聞き取りしたまま書いたものです。いわゆるお伽話の類ではなく、何々村の誰某がどうこう、という風に、登場人物が具体的で生々しい同時代の怪しい出来事ばかり記録されているのが特徴です。

物心のついたばかりの子供に、大人が言い聞かせる、それは恐ろしい物語だったようで、村落共同体のしきたりを子供に刷り込ませる儀式を兼ねていたものかも知れません。


遠野物語の三大キャラといえば、カッパ(河童)、ザシキワラシ(座敷童子)、オシラサマ、です。


ザシキワラシは童子の姿をした精霊で、旧家の没落の予兆としてその家に姿を現します。ザシキワラシが去るとなぜか家の身代も傾いてしまう。裕福な旧家の興亡をそれとなく説明するために作り出された原理と言われています。

裕福な旧家で障害をもつ子供が生まれたら、人前には出さずに家の中で育てることがあったようです。それを客人が偶然に見つけたら、家人はザシキワラシと説明したのかも知れません。田舎の旧家の蔵座敷は、普段は使われることのない暗い閉鎖空間で、子供に語る妖気漂う物語にうってつけの場所だったようにも思います。


オシラサマは遠野特有のキャラかも知れません。

便所風呂は屋外なのに、馬とは一つ屋根の下で暮らす、そんな遠野地方の風習から生まれた神様です。その家の飼い馬と少女ができてしまう異種婚姻という尋常でない逸話が由来のようですが、蚕の守り神、家の守り神などとして、遠野では古くから厚く信仰されてきました。それにしても、遠野伝承館に集められた千体ものオシラサマ人形には圧倒されました。


遠野を訪れた柳田國男は「その前人未到ぶり甚だしきこと」と記しています。険しい北上山地の盆地に位置する遠野の地理的特性が、人々に自足的排他的な気質を促したと示唆しているようです。その気質が遠野物語を生み出したのだと。


果たして本当にそうなのか。。。それを確かめるために遠野を訪れました。

そこは広く開けた盆地で、日本全国どこにでもある里山の風景が広がっていました。自足的排他的な気質を生み出すほどの閉鎖性を感じることはありませんでした。これが率直な感想です。


明治時代、日本いたるところの農村には、同じような民間説話が沢山あったのではないか、そう思っています。時代の流れとともに、記録されることもなく、語り継がれることもなくなり、近代化の進展とともに、徐々に消え去って行ったように思えます。


日清日露の戦争を乗り越え、西洋近代化こそが国家発展の道だと信じられた明治時代。その流れに抗らうように、各地で忘れ去られていく民話説話の数々を拾い集めて記録し、日本民俗学という新しい学問分野を立ち上げた柳田國男が、遠野出身の秀才・佐々木喜善と巡り合った偶然、それが遠野の説話を全国区に押し上げた要因のように思えてなりません。

これまた、身も蓋もない説明なのかも知れません。

遠野の人々が紡ぎ出した悲しいお伽話として聞くとができない自分が、これまた悲しく思えてなりません。

カッパの淵


千体ものオシラサマ





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